自然と医療、そして中道
皆様、はじめましてこんにちは。おしか助産院の青島です。
これを読んでくださっている方は、少なくとも助産院について興味を持って下さっている方なのではないでしょうか?
助産院で産みたい・助産院ってどんなとこ?・他の助産院と比べてどうかしら?・病院と全く違うシステム?・なんか怪しいこと勧められる?・宗教みたいに自然主義に洗脳される?・そもそも助産院て何?
色々な理由でこのHPを開いてくださったと思います。
ありがとうございます。
今回は私が思う自然なお産や育児と、医療とのかかわり方についてお話いたします。ここで一つお断りいたしますが、これはあくまで私の考え方であり、すべての助産院が同じような考えではないということをご理解いただきたいと思います。
まず、私は医療の否定はいたしません。また、医療介入が唯一の方法だとも思いません。
人の身体で化学や医療で解明されていることは、まだまだほんの一部分です。
現代において行われる医療で100年後に同じ薬・同じ治療として残っているものは、どのくらいあるでしょうか?時にはちゃぶ台返しのように、全く違う方法がとられることもあります。
人の身体は、100年後も形状や機能はほとんど変わらないでしょう。それが自然ということなのです。
しかし、そのほとんど変わらない自然のほんの一部でも解明し、解明できたものを元に、医療は日々進化しています。その中でちゃぶ台返しもあるのかもしれません。
かのソクラテスは、紙が発明されて記述を紙にするようになったことに対して、書き言葉は記憶を破壊するとして、話言葉(=生きている言葉)にこだわったと言います。本来の解釈とは少しずれますが、何千年前の偉人でさえも新しい技術ではなく、人に自然に備わったものを失うことへの警戒心を持っていたということだと思うのです。
しかし、それから数千年経った現代において、紙の存在は当たり前になり紙への記述が人類の何か大切なものを滅ぼしたかと言われれば、そうでもないと思います。
人は、紙を使って様々な発展をとげました。そして現代において紙への記録はアナログとされ、コンピューター上の仮想空間での記憶に変化しています。AIは今後人間の記憶をはるかに超える記憶をし人間に代わって判断できるような存在になっていくことでしょう。しかし、それでも、紙やコンピューターを作るのは人であり、人の心の在り方で作られるものは変化します。
話がだいぶ逸れましたが、医療は、人類と紙の関係に似ていると思うのです。
医療を使うことで、人が持っている自然治癒の力や体内のまだ解明されていない何かのリズムが狂うことはあるのかもしれません。ですので、医療にコントロールされるやり方には疑問を持たざるを得ません。しかし、医療介入をコントロールし、状況に応じて適切な医療を享受できることは、大切なことだと思うのです。
私は、自然に備わった女性の産む力や子供の力を信じつつも、必要な時は医療の力も借りる、中道でありたいと思っています。
医療に囲まれた中で多くの医療介入の元で出産することだけが絶対的な安心でもなければ、医療介入を排除した絶対的な自然を信じて産み育てることが理想でもないと思います。
個人個人の状況を把握し、私なりの医療知識や経験や時には感覚的な何かを感じながら、安全に出産や子育てができる環境を一緒に考えて作り上げていきたいと思うのです。
AIでもできる仕事をする助産師にならないために、心で感じたことも大切にし、正解を作らず、「普通は・医療なら、○○する」場面において言葉に流されることなく、その必要性をしっかりと判断し皆様にお伝えできる助産師でありたいと思います。